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調節刺激と調節反応とは
『調節刺激』とは眼前のある視物に焦点を合わせる事を要求する刺激の事です。
この『調節刺激(Accommodative Stimulus)』に対して、眼の中で実際に反応する調節を『調節反応(Accommodative Response)』といいます。
例えば、眼前50cmの物を見る時の調節刺激は2Dとなりますが、実際には2D以下の調節反応で見ている頻度が最も高いです。
一定の調節刺激により以下の関係性が考えられます。
AS>AR
AS=AR
AS<AR
調節刺激と調節反応の関係は、大きかったり小さかったりを繰り返しています。
これを、常にAS=ARと仮定してしまいますと、測定技術の内容が高度になる程に理解困難になっていきます。
この事に関しては、調節の基礎知識として以前の投稿で少し触れている内容になります。
AS=ARとした例として、明視域の計算などがあります。
【問題】『正視眼の人が、眼前40cmの視物を見る時に必要となる調節力は何Dですか?』・・・は厳密にはおかしいといえます。
その理由ですが、
眼前40cmの調節刺激は1/0.40[m]=2.50[D]ですが、調節反応が2.50Dであるかどうかはわからないからです。
眼前40cmの視物を『しっかり見る』や『文字を読んで理解する』の場合には、調節反応が2.50Dになるかもしれません。
調節を怠ける事なくピントを合わせようとするからです。
単純に『見る』場合には、2.50Dよりも低い調節力である事が一般的です。
調節弛緩に問題がみられる『調節過剰』の状態や、調節刺激に対する反応が弱い『調節不全』の場合にも AS=ARとはなりません。
つまり、 AS=ARとすれば上記の問題は2.50Dですが、実際にはそうとも言い切れなくなります。
【問題】『S−5.00Dで補正される近視眼が、S−5.00Dの眼鏡を掛けて50cmを見る時の調節力は?』・・・これもおかしいところがあります。
まずは、S−5.00D眼鏡の装用距離が何ミリなのか、眼鏡レンズ前方50cmなのかどうかです。それにより、必要になる調節力が変わります。
例えば、12mmで装用された場合には、眼の屈折要素は
1/(0.012+200)≒4.717[D]であり、調節力により眼の屈折要素がプラス寄りになります。
更に、装用位置12mmでの補正力が変わり、レンズ度数−5.00Dで打ち消され、残った度数が+2.00Dとなり、眼鏡レンズ前方50cmにピントが合うようになります。
計算しますと、約1.741Dの調節で眼前512mmの位置にピントが合います。2.00Dの調節力は必要ありません。
これを『調節効果』といいます。
また、眼前51.2cmの調節刺激による調節反応の量がどうなのか・・というのを考慮しないといけません。
以下のような、ASとARの関係もあります。
実際には、調節刺激量と調節反応量の関係は、理論的な直線とは異なります。
調節刺激が無い状態でも、調節緊張により、調節反応は理論的直線よりも上方にあります。
この状態は、『調節安静位』や『夜間近視』、『空間近視』とも呼ばれる状態にあります。
また、調節刺激が増した場合(視標が近づいた時)には、調節反応は調節刺激よりも少なく、反応曲線は理論的直線よりも下方にあります。
この状態は、目標視物よりも若干遠方に注視点があります。これを『定常誤差(accommodation lag 調節ラグ)』といいます。
このような事が、実際には起こっております。
しかし、
試験問題などの場合には、問題作成者の意図を汲み取らないといけないという面倒さがあります。
そこで、一瞬『あれ!?』って思うと試験時間が足りなくなります。
調節反応と輻輳刺激なども考えだすと…。
人生経験の中で、何にでも当てはまる事ですが、『知らないから偉そうに言える事…』は良くあります。
『無知の知』というソクラテスの言葉が思い浮かびます。
無知の知
ここからは、個人的な考えですが、
『知らないこと』を知らない人に対しては、本当に知っているのかと問いたい。
『知らないこと』を知っている人に対しては、知ろうと努力しようとしますので、好感が持てます。
『知っていること』を知っている人には、知らないことを知っている前提で、それでも知っているといえる自覚的なものを指しますが、尊敬に値します。
『知っていること』を知らない人には、知るとか知らないとかは無意識で次元が違います。当たり前の無自覚な状態であり、神に値します。
果たして自分はというと、未だ、そこまで達しているとは思いませんけど、
いつかは、『知っていること』を知らない人間になれたら良いなと・・あぁ、-嘔吐、嘔吐、嘔吐
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